『どうする家康』を全48回視聴して毎回感想を書いて感じた3つのこと

 

新しい大河ドラマ『光る君へ』が始まりました。その感想を書く前に去年の大河ドラマ『どうする家康』について少し振り返ってみたいと思います。

 

 

具体的には3つのキーワードで振り返りたいと思います。

1つ目のキーワードは、マンネリ化です。大河ドラマを視聴してその感想を毎回書くという単純な作業を繰り返した訳ですが、感想と言っても私の視野はそこまで広くないので、映像表現、俳優、脚本、史実と物語との対比など、限られた視点でのワンパターンな感想になりがちでした。もっと他の人の感想を読むなど、マンネリ化を打破するために工夫が必要だと感じました。

ただ、それでも書き続けることができたのはフォーマットを導入していたからだと思います。毎回、良かった点、良くなかった点、学びがあった点という3つを書くことにしていたので、そこまで考えずに手を動かすことができました。

 

 

2つ目のキーワードは、歴史への興味です。毎回ではありませんが、物語と史実を比較する癖がついたので、物語を視聴した後にネットで検索をして、出来事や人物を自分なりに調べることをしていました。なので、この時代の人物や出来事について少し詳しくなったと思います。

特に印象的だったエピソードを挙げるとすれば以下の3つです。

 

『どうする家康』第33話(裏切り者)の感想 - ドラマ備忘録

『どうする家康』第36話(於愛日記)の感想 - ドラマ備忘録

『どうする家康』第9回(守るべきもの)の感想 - ドラマ備忘録

 

第33話は石川数正、第36話は於愛の方、第9話は本多正信の話ですが、本編よりも家康を取り巻く人々のサイドストーリーに心打たれるものがありました。

 

 

3つ目のキーワードは、大河ドラマの限界についてです。1つ目のキーワード「マンネリ化」とも関係するのですが、全48回というのは長すぎです。一年間かけて放送するというのも、正直、中だるみがあると思いますし、タイパ、コスパが叫ばれる昨今、半年で終わるようにするとか、それが無理なら3部制や4部制にして物語としてメリハリをつけてほしいと感じました。プロ野球の優勝旅行がなぜハワイなのか、と同じくらいのレベルで昭和的価値観に支配されているような気がします。

 

マンネリ化、歴史への興味、大河ドラマの限界という3つのキーワードで振り返りましたけど、継続することで見えてくるものもありましたし、今までそれほど興味のなかった日本史に興味を持つようになったり、良いこともあった気がします。今のところ、『光る君へ』も継続して視聴する予定です。