『光る君へ』第十四話(星落ちてなお)の感想

 

 

 

『光る君へ』第十四話(星落ちてなお)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。それは兼家の死によって物語が大きく動き始めた点です。道長の視点で言えば、兄の道隆が摂政となったので道長の政策や改革案が認められ、世の中を良くする方向へもっていけるのではと期待しました。が、実は道隆は兼家のコピーというか、政治信条は兼家と対して変わらず、政治的独裁を進めていく一方でしたね。庶民の暮らしにも関心を示さず、藤原家という家を末永く繁栄させるためにはどうすればいいのか、その一点のみに関心があるようです。

 

一方で良くなかった点も1つあります。それは兼家の死に関する演出が過剰ではないかという点です。死の直前、兼家が夜空を見上げるシーンがありましたけど、月が赤く染まったり、源明子が兼家を呪詛しているシーンでも扇子の台座が派手に壊れたり、少しやり過ぎではないかと感じました。『光る君へ』が超常現象込みの世界観ならいいのですけど、そういう訳でもないと思うので、出来るだけやめてもらいたいと思う次第です。シラケてしまいます。

 

最後に学びがあった点ですが、道隆、道兼、道長の3兄弟について少し考えてみたいと思います。物語を面白くしている要素の一つに3兄弟の関係性やそれぞれの性格の違いがあると思うのですが、人間的にまともだと思われていた長兄の道隆が暴走気味になっていく姿が興味深かったですね。兼家の思想を一番深く受け継いだのが道隆ということでしょうか。家が全てであり、何事にも優先する。市井の人々が苦しんでいようが貴族には関係がないこと。

それに対して道長の政治信条は貴族だけが人ではなく、庶民も含めて世の中を良くしていきたいという至極真っ当な考えで、人の上に立つ人間はこのような人であって欲しいと思います。ただ、平安時代の貴族社会でこのような考え方は主流だったのでしょうか。道兼のように貴族以外の人間を人ではなく虫けらと呼ぶ輩が多数派だったような気もします。

道兼は兼家の後を継げず、廃人のようになってしまいましたが、この先の展開はどうなるのでしょうか。

このままでは終わらず、事件を起こしそうな気配を感じますね。まあ、もとを辿れば父である兼家の教育の成果というか、道兼に汚れ役を押し付け、コマのように扱っていてはまともな人間になるはずもなく、兼家という人間のサイコパス具合が伺い知れるということでしょうか。

一つ気になった点としては、道長が父である兼家の死を悲しんでいたのですが、政治信条も大きく違い、父の異常さを肌で感じとっていた人間でもあるのにそこまで悲しむものかと少し訝ってしまいました。