『どうする家康』第36話(於愛日記)の感想

 

『どうする家康』第36話(於愛日記)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。それは今回のエピソードが最終的にはハッピーエンドで徳川家臣団の絆が深まった部分です。徳川家臣団の鳥居元忠が旧武田の忍びである千代をかくまっていたという、徳川家の揉め事(?)を於愛の視点も絡めながら上手く描いていたと思います。何か大きな事件が起きる物語ではありませんでしたが、たまにはこういう展開も良いのではないでしょうか。

このタイミングで旧武田の忍びが出てくるのは予想外でしたし、さらに鳥居元忠と千代が結ばれるというのもサプライズでしたね。家康の「幸せになるのは生き残った者の義務である。」という発言も心に染みるものがありました。こういう家臣団の絆が深まるエピソードを石川数正がいる時に入れて欲しかった気もしますけど。。。

 

一方で良くなかった点は、今回はありません。今回は緩急で言うと「緩」の回だったと思うのですが、こういう変化球的なエピソードも良いと思いました。最後に於愛の方が病気で亡くなったり、秀吉の暴走により戦の気配が濃厚になる部分もありましたし、次回に向けての助走として良くまとまったエピソードだったと思います。

 

最後に学びがあった点ですが、今回は於愛の方について少し考えてみたいと思います。第36話は題名が「於愛日記」なので、今回の主人公は於愛と言っても差し支えないでしょう。史実では慈愛に満ちた人柄で、家康から深く愛され、家臣や侍女からも愛されていたようです。三方ケ原の戦い、長篠・設楽原の戦い、小牧・長久手の戦いなど、戦が続いた家康の苦難の時代を支えましたが、苦労が多く38歳で死去しました。

物語のナレーションだけで死去が伝えられたのは寂しい感じもしましたし、もう少し今後の物語に絡んでくると思っていたので残念でなりません。於愛の方は極度の近眼で盲目の女性を保護するなど福祉活動にも取り組んでいたそうですが、この部分は物語の中でも再現されていましたね。

物語の最後に秀吉の新しい側室である茶々が登場しましたけど、於愛の方とは正反対の性格・人格のように感じました。特に茶々が矢の的に向かって銃を打つシーンは、慈愛とは対極の攻撃性が感じられるシーンで、於愛の方の人間性をより際立たせる効果があったのではないでしょうか。