『光る君へ』第十五話(おごれる者たち)の感想

 

 

『光る君へ』第十五話(おごれる者たち)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

まず良かった点は1つあります。それは道長とまひろのそれぞれに見どころのあるシーンがあり、バランスが取れていた点です。道長については、次兄・道兼との対話シーンが胸熱展開で良かったですね。廃人になって世捨て人になっている道兼に対して、道長が人生はこれからではないかと諭すという、本当に出来た弟ですね(笑)加えて、長兄・道隆とその息子・伊周との権力争いを匂わせるエピソードもありましたし、複雑で微妙な人間関係はどこまでも続いていきそうです。

まひろについては、蜻蛉日記の作者・道綱の母との出会いがあり、「書くことで寂しさや悲しさを癒やす」という一つの考え方にたどり着きました。源氏物語の創作に一歩近づく出会いだったと思いますが、創作には必ず影響を与えた人物や出来事があり、まひろにとって道綱の母との出会いは一つのインスピレーションだったのかもしれませんね。

 

一方で良くなかった点ですが、今回はなしとしたいと思います。いくつか不満な点はあるのですが、コメディ要素もありましたし、エンタメとして楽しめたので及第点とします。

 

最後に学びがあった点ですが、物語の中でも言及があった『蜻蛉日記』の歌について少し考えてみたいと思います。「歎きつつ ひとり寝る夜の 明くる間はいかに久しき ものとかは知る」という歌でしたけど、浮気性の夫・兼家に対する苦情の気持ちを詠んだ歌ですよね。

平安時代は現代と比べると男尊女卑的な社会であったことは間違いがなく、女性の苦労が伺えます。兼家が訪ねて来たにもかかわらず、門の前にわざと待たせておいて、なかなか家に入らせなかったというエピソードもあるようですけど、まさに体と心はあべこべですね。

道綱の母は、兼家にも自分と同じ気持ちを味わってほしいと思ったのでしょうけど、あの兼家ですからそこまで効果はなさそうです。現代でも帰りが遅くなった夫とそれを待つ妻という似たような構図がありますから、1000年前とやっていることはあまり変わりはないということでしょうか。