『光る君へ』第一話(約束の月)の感想

 

 

『光る君へ』第一話(約束の月)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

『どうする家康』とはテイストが違いすぎるので視聴するのをためらったのですが、自分のまったく知らない分野なので好奇心から少し見てみようと思いました。正直、1000年も前の平安時代の貴族階級のアレコレなんて、それほど興味はないので継続して見ることができるか分からないのですが、行けるところまでいってみようと思います。

 

 

さて、早速ですが良かった点は1つあります。それは個性的な藤原三兄弟、後半の衝撃的な展開など、視聴者を惹きつける要素が多く、第一話の出だしとして及第点だったことです。前半は説明的な部分が多く静かな立ち上がりかと思いましたが、右大臣・藤原兼家とその子息、三郎(藤原道長)と主人公まひろ(紫式部)の出会い、兼家の次男である道兼との因縁など、後半から急展開で思ったよりも楽しめました。

特にまひろが三郎に「馬鹿」について講釈をする場面は少し笑えました。こういうコメディ要素はこれからも盛り込んでほしいですね。

 

 

一方で良くなかった点も1つあります。これは自分の教養がないことが原因なのですが、用語が難しくてよく理解できない部分がありました。ナレーションだけでなく、字幕で注釈も入れてほしいと思いました。トウグウ、ジュダイ、タツノヒ、ウマノコクなど。あとは登場人物の名前が似たような名前が多くて辛いものがありました。名字は藤原だらけ、名前も道隆、道兼、道長など、当時の貴族階級はどういう根拠で名前をつけていたのでしょうか。

 

 

最後に学びがあった点ですが、まひろが父親から聞かされていた漢籍「蒙求」(もうぎゅう)について少し考えてみたいと思います。「蒙求」は、歴史教訓歌の体裁をとった児童向けの書らしいので、当時の上流階級の子供たちは手ほどきを受け、学習をしていたようですね。当時の上流階級の子供たちは漢籍「蒙求」をはじめ、中国の古典に親しんでいたようで、自分の教養の無さ、薄っぺらさを痛感します。

夏目漱石の筆名の基となった話も掲載されているそうで、「孫楚漱石」の話が「漱石」の筆名に採用されたとのこと。そういえば、夏目漱石漢籍漢詩に興味を持ち、そこから東洋的な価値観や道徳を学んだそうですけど、自分にはそういう経験がないので少し羨ましい感じもしますね。今から学ぶのでも遅くはないのかな。