『光る君へ』第十六話(華の影)の感想

 

 

『光る君へ』第十六話(華の影)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。それは物語の後半に予想外の展開が多く、エンタメとして楽しめた点です。物語の前半は静かな立ち上がりで後宮の優雅な生活が描かれていましたが、後半からは胸熱展開が待っていました。道兼が廃人状態から立ち直っており、道長が疫病の状況を視察に行こうとすると、「やめておけ。汚れ仕事は俺の役目だ。」と言い放ちました。このセリフには痺れました(笑)弟想いの良い兄貴ではないですか。

そしてもう一つの胸熱展開は、道長とまひろの再会でした。もっともまひろは疫病にかかってしまい、意識を失っているのですが、道長が夜通し看病をするという、何とも予想外の展開で驚きました。看病の最中に「生まれて来た意味は見つかったのか?」と問いかけていましたけど、病気で苦しんでいる人に対して、そのような重たい質問するのはどうかと思ってしまいました。道長の一途な部分というか、まひろのことを想い続けているピュアな部分が垣間見れて心が温かくなりましたね。

 

一方で良くなかった点も1つあります。それはまひろに主人公感があまりない点です。物語のイベントに翻弄されるだけで、主体的に自分の運命を切り開いていく姿勢が見られません。もちろん平安時代の状況を鑑みると女性が主体的に何かを行うのは難しいことなのかもしれませんが、視聴者としてはフラストレーションが溜まる展開が続いています。

文字を教えていた愛弟子・たねが疫病によって死んでしまうなど、まひろにとってどこまでも厳しい展開が続いていますし、まだ30回以上物語が残っていますけど、ずっとこのような感じで続いていくのでしょうか。次の展開が読み難いですし、主人公からカタルシスを得られそうもない展開が続き、脚本家には何とかしてもらいたいと切に願います。

 

最後に学びがあった点ですが、物語の前半で描かれていたエピソード「香炉峰の雪」について少し考えてみたいと思います。『枕草子』の有名なエピソードなので概要は知っていたのですが、まさか大河ドラマで実写化されるとは思ってもみませんでした。

漢籍に詳しい中宮定子が「香炉峰の雪はどうであろうか」と清少納言に問いかけ、それを受けて清少納言が御簾をあげさせて庭の雪景色を見せる。ここで言う香炉峰は中国の景勝地白居易の詠んだ詩にも出てくる場所です。

なぜ御簾をあげるのか。

景勝地である香炉峰のふもとに新居を構えた白居易が、昼過ぎまで布団の中で眠っており、寝床から御簾をあげて香炉峰の雪を眺めた詩が下敷きになっているからです。御簾をあげて雪を眺めるという行為が、白居易香炉峰の雪に感じた安らかさや心の安寧を想起させるということではないでしょうか。

 

 

『光る君へ』第十五話(おごれる者たち)の感想

 

 

『光る君へ』第十五話(おごれる者たち)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

まず良かった点は1つあります。それは道長とまひろのそれぞれに見どころのあるシーンがあり、バランスが取れていた点です。道長については、次兄・道兼との対話シーンが胸熱展開で良かったですね。廃人になって世捨て人になっている道兼に対して、道長が人生はこれからではないかと諭すという、本当に出来た弟ですね(笑)加えて、長兄・道隆とその息子・伊周との権力争いを匂わせるエピソードもありましたし、複雑で微妙な人間関係はどこまでも続いていきそうです。

まひろについては、蜻蛉日記の作者・道綱の母との出会いがあり、「書くことで寂しさや悲しさを癒やす」という一つの考え方にたどり着きました。源氏物語の創作に一歩近づく出会いだったと思いますが、創作には必ず影響を与えた人物や出来事があり、まひろにとって道綱の母との出会いは一つのインスピレーションだったのかもしれませんね。

 

一方で良くなかった点ですが、今回はなしとしたいと思います。いくつか不満な点はあるのですが、コメディ要素もありましたし、エンタメとして楽しめたので及第点とします。

 

最後に学びがあった点ですが、物語の中でも言及があった『蜻蛉日記』の歌について少し考えてみたいと思います。「歎きつつ ひとり寝る夜の 明くる間はいかに久しき ものとかは知る」という歌でしたけど、浮気性の夫・兼家に対する苦情の気持ちを詠んだ歌ですよね。

平安時代は現代と比べると男尊女卑的な社会であったことは間違いがなく、女性の苦労が伺えます。兼家が訪ねて来たにもかかわらず、門の前にわざと待たせておいて、なかなか家に入らせなかったというエピソードもあるようですけど、まさに体と心はあべこべですね。

道綱の母は、兼家にも自分と同じ気持ちを味わってほしいと思ったのでしょうけど、あの兼家ですからそこまで効果はなさそうです。現代でも帰りが遅くなった夫とそれを待つ妻という似たような構図がありますから、1000年前とやっていることはあまり変わりはないということでしょうか。

 

『光る君へ』第十四話(星落ちてなお)の感想

 

 

 

『光る君へ』第十四話(星落ちてなお)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。それは兼家の死によって物語が大きく動き始めた点です。道長の視点で言えば、兄の道隆が摂政となったので道長の政策や改革案が認められ、世の中を良くする方向へもっていけるのではと期待しました。が、実は道隆は兼家のコピーというか、政治信条は兼家と対して変わらず、政治的独裁を進めていく一方でしたね。庶民の暮らしにも関心を示さず、藤原家という家を末永く繁栄させるためにはどうすればいいのか、その一点のみに関心があるようです。

 

一方で良くなかった点も1つあります。それは兼家の死に関する演出が過剰ではないかという点です。死の直前、兼家が夜空を見上げるシーンがありましたけど、月が赤く染まったり、源明子が兼家を呪詛しているシーンでも扇子の台座が派手に壊れたり、少しやり過ぎではないかと感じました。『光る君へ』が超常現象込みの世界観ならいいのですけど、そういう訳でもないと思うので、出来るだけやめてもらいたいと思う次第です。シラケてしまいます。

 

最後に学びがあった点ですが、道隆、道兼、道長の3兄弟について少し考えてみたいと思います。物語を面白くしている要素の一つに3兄弟の関係性やそれぞれの性格の違いがあると思うのですが、人間的にまともだと思われていた長兄の道隆が暴走気味になっていく姿が興味深かったですね。兼家の思想を一番深く受け継いだのが道隆ということでしょうか。家が全てであり、何事にも優先する。市井の人々が苦しんでいようが貴族には関係がないこと。

それに対して道長の政治信条は貴族だけが人ではなく、庶民も含めて世の中を良くしていきたいという至極真っ当な考えで、人の上に立つ人間はこのような人であって欲しいと思います。ただ、平安時代の貴族社会でこのような考え方は主流だったのでしょうか。道兼のように貴族以外の人間を人ではなく虫けらと呼ぶ輩が多数派だったような気もします。

道兼は兼家の後を継げず、廃人のようになってしまいましたが、この先の展開はどうなるのでしょうか。

このままでは終わらず、事件を起こしそうな気配を感じますね。まあ、もとを辿れば父である兼家の教育の成果というか、道兼に汚れ役を押し付け、コマのように扱っていてはまともな人間になるはずもなく、兼家という人間のサイコパス具合が伺い知れるということでしょうか。

一つ気になった点としては、道長が父である兼家の死を悲しんでいたのですが、政治信条も大きく違い、父の異常さを肌で感じとっていた人間でもあるのにそこまで悲しむものかと少し訝ってしまいました。

 

 

『光る君へ』第十三話(進むべき道)の感想

 

 

『光る君へ』第十三話(進むべき道)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。それは主人公まひろに希望が見えた点です。今回は緩急で言うと「緩」の回だったと思いますが、市井の人々に文字を教え、生活の質を向上させ、世の中を良くしていくという、まひろにとってライフワーク的なものが見つかりました。ここまでは災難続きとも言える展開で主人公にとって辛い展開が多かったですけど、ようやく一筋の光が見えてきた感じです。

ただ、こういう展開にもっていくなら謎の男・直秀や散楽メンバーを退場させない方が良かった気もします。市井の人々との交流を描くなら直秀や散楽メンバーも加えた方がより盛り上がった描き方が出来たのではないでしょうか。もったいないですね。

 

 

一方で良くなかった点も1つあります。それは内裏での政権争いが物語の中心になっており主人公まひろが少し浮いている点です。もう一人の主人公が道長であることは理解していますし、兼家を中心とする内裏での政権争いも物語の重要テーマかもしれません。が、紫式部であるまひろに焦点を当てて欲しい気がします。

加えて、道長のもう一人の妻である源明子の存在が大きくクローズアップされていましたけど、兼家に対する異常な憎悪の理由がいまいち分からず感情移入できないのですが、登場人物が多く、人間関係が複雑なのでついていけない部分も出てきました。

 

 

最後に学びがあった点ですが、まひろが道長に送った漢詩である陶淵明・「帰去来辞」について少し考えてみたいと思います。「帰去来辞」には、官職を辞して帰郷する決意と喜び、田園生活の自由な心境がうたわれています。今回の題名「進むべき道」とも関連がありそうで、「帰去来辞」で述べられてる「己の理想とする道を歩むべきではないか」というメッセージと今回の題名が呼応している気がしました。道長とまひろのそれぞれが進むべき道も段々と見えて来ましたし、今後の展開が楽しみですね。

 

『光る君へ』第十二話(思いの果て)の感想

 


『光る君へ』第十二話(思いの果て)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。それは主人公まひろにとって苦しい展開が続く中でもユーモアの要素があった点です。

今回の物語は縁談というテーマで進んでいましたが、まひろの縁談相手として藤原実資が取り上げられていて笑いをこらえるのに必死でした。赤痢にかかって苦しんでいる描写も滑稽に演じられていましたね。さすがロバート秋山さんです。

そして、縁談という文脈で言うと黒木華さん演じる倫子と道長との縁談も進んでおり、娘に泣きつかれる左大臣役・益岡徹さんの演技も面白かったです。どうやら倫子と道長が結ばれるのは既定路線のようで、そうなると道長が過去にまひろと恋仲であったことが倫子に分かってしまうことになりそうです。まひろにとって茨の道が続きますね。

 

 

一方で良くなかった点も1つあります。それは最近の物語の展開がまひろにとって辛すぎるのではないか、ということです。

物語の終盤でまひろが道長に対して正妻ではなく妾でもよいと伝えようとした場面がありましたけど、道長から倫子との縁談が進んでいるというまさかの告白。まひろは本心を隠してうわべだけの祝福をしましたが、もう少し主人公にとって良いニュースがあっても良いのではないでしょうか。見ていて非常に辛いですね。明るい未来が見えません。

 

 

最後に学びがあった点ですが、現代人にとって珍しい風習である庚申の夜(こうしんのよる)について少し考えてみたいと思います。

庚申(こうしん)は、(かのえさる)とも読むことができ、十干(じっかん)の庚(かのえ)と十二支の申(さる)を組み合わせた言葉です。十干十二支は60種類あるので、カレンダーに当てはめると60日で1周します。つまり、昔の人は60日に一度、徹夜をしていたことになりますね。

物語のように複数人で集まり酒盛りをしながら積もる話をするなら、それはそれで面白そうな風習であると感じました。清少納言も『枕草子』に庚申の日の出来事を書いているので、当時の人たちにとっては普通の日常というか、そういう風習を通じて当時の人達を身近に感じることができるような気がします。

 

 

『光る君へ』第十一話(まどう心)の感想

 

 

『光る君へ』第十一話(まどう心)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。それは物語における道長とまひろの立ち位置がはっきりしてきたことです。道長は前回から考え方や性格がどんどん変化している印象ですが、今回は権力者としての顔が出てきた気がしました。物語の終盤でまひろに正妻ではなく妾になってくれとお願いしたものの、聞き入れられないと激昂するという、何とも傲慢な感じでしたね。

まひろは貴族社会における底辺の身分であり、父親の就職について奔走するのですが願いは聞き入れられず、藤原兼家には「虫けらが迷い込んだ」と言われる始末。物語的にはまひろが主人公なので、紫式部として名を挙げるまで貴族社会を駆け上がっていくという展開になるのでしょうか。

 

一方で良くなかった点も1つあります。それは道長とまひろが再会した場面でのBGMです。少しディストーションが効いた泣きのギターでしたけど、平安時代という時代設定を考えると音楽的に現代的な要素はない方が良かったのではないかと思いました。加えて映像表現にこだわっているのはすごく良く分かるのですが、くどいと感じることもあるので、もう少し普通の表現でもいい気がしています。

 

最後に学びがあった点ですが、まひろの父、藤原為時について少し考えてみたいと思います。為時は学問はできるが組織での立ち回りが下手な人間として描かれていますね。ただ、組織に属する以上、政治的な駆け引きは重要ですし、どのような派閥に属するか、誰についていくのかということも少しは考えておく必要があると思います。

その点、為時は性格が実直で表裏がなく、素直すぎるのかもしれません。普通の人間であれば、藤原兼家が摂政になった時のことを考えて兼家との関係は切らずにおくのでしょうが、そういう小細工はしたくない性格なのでしょう。

本音を言えば学問のことだけを考えて生きていきたいのでしょうけど、人は生きていく上での雑事からは逃れることができませんよね。バランスの問題だと思うのですが、人間の時間は有限ですから、何にどれだけの時間を使うのかは各個人の考え方や信念によって決めるのが良いということでしょうか。そういう意味で為時も今の状況に後悔はないのかもしれません。

 

『光る君へ』第十話(月夜の陰謀)の感想

 

 

 

『光る君へ』第十話(月夜の陰謀)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。それは今回もサプライズ要素があり、エンタメとして楽しめた点です。最近サプライズ続きですが今後もこういう展開が続くのでしょうか。『どうする家康』は緩急が分かりやすかったのですが、『光る君へ』は展開が読み難いですね。

何と言っても道長とまひろの恋が再燃し、文のやり取りの後、廃屋で逢瀬を重ねるというまさかの展開。急すぎませんか(笑)しかも廃屋て。道長よ、甲斐性が無いとはこのことだぞ。

 

一方で良くなかった点も1つあります。それは道長の性格が変わりすぎだと思われる点です。どちらかと言うと物事を俯瞰的に見たり、冷静さが長所だっと思うのですが、まひろに対していきなり「全てを捨てて遠い国へ行こう」は唐突すぎる気がしました。恋というのは、それほどまでに盲目になるのか、ということかもしれませんが、前回の謎の男・直秀の死を考えると道長からそういう発言が出てくるのは少し残念な気もしました。ここで冷静なのはまひろの方で道長の暴走をしっかり諌めていましたけど。

 

最後に学びがあった点ですが、道長について少し考えてみたいと思います。兼家から「計画が失敗してもお前だけは生き残れ」と言われたり、まひろから「関白、摂政に上り詰めて世の中を良い方向に変えて欲しい」と言われたり、自分の意思というより運命、宿命的なものをベースに道長の人生は形作られていくような気がしました。

この辺りはどうなんでしょう、周りからの期待を足枷と捉えるか、自分の宿命と捉えるか、難しいところだとは思いますが、人生は一回きりですから、まひろと駆け落ちして遠くの国で暮らすのも道長としては悪くない選択肢だったのかもしれませんね。