『光る君へ』第二話(めぐりあい)の感想

 

 

 

『光る君へ』第二話(めぐりあい)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は3つあります。

1つ目は、大人になったまひろが父親の目を盗んで代筆業に取り組んでいたことです。自らの漢詩や和歌の知識を活かして試行錯誤しながら働く姿は芯の強さを感じましたし、楽しんでいるようにも見えました。

ただ、この時代、貴族階級の女性が普通に働くことは難しかったようで、男のふりをして働いていたのが印象的でした。最初、設定が良くわからなかったので、なぜ低めの声で会話をしているのか不思議だったのですが、物語の後半で合点がいきました。平安時代は徹底的に男尊女卑の社会ですから、そういうセンシティブな部分についてどのように描いていくか少し興味があります。

良かった点の2つ目は、かな文字を描くシーンがあったことです。オープニングでも和紙と墨の表現がありましたけど、物語の本編でもかな文字を書くシーンがいくつか出てきて、その美しさに惹きつけられるものがありました。

日本人なら和紙と筆と墨というキーワードに反応してしまう部分があると思うのですが、そこに平安時代のかな文字という組み合わせで、物語に一服の清涼剤を提供しているような気がしました。

良かった点の3つ目は、まさかのロバート秋山さんの出演です。藤原実資(ふじわらのさねすけ)役での出演ですけど、まったく平安貴族には見えないです(笑)。出オチ感がありましたが、これから活躍してくれるのでしょう。カラテカ矢部太郎さんも出演していましたし、芸人枠みたいなものがあるのでしょうか。これからもこういうサプライズを楽しみにして物語を見ていきたいと思います。

 

一方で良くなかった点は1つあります。それは、まひろと三郎の再会シーンで少し不自然な描写があったことです。まひろが石を蹴飛ばそうとして履いている草履が脱げて飛んでいってしまいますが、あそこまで草履が飛びますか(笑)

第一話の鳥が逃げてからのまひろと三郎の出会いもベタというか先が読めてしまう展開で、重要なシーンだけにもう少し自然な感じで演出を上手くやってほしいと感じてしまいました。平安時代という身近ではない世界を描くのですから、視聴者にリアリティを感じてもらうためには不自然な演出は極力ない方がよいと思うのですが、どうなんでしょう。

 

最後に学びがあった点ですが、今回はまひろの父と弟が問答をしていた『史記 孟嘗君列伝』について少し考えてみたいと思います。『史記』は司馬遷が編纂した中国の歴史書ですが歴史書としてだけではなく、文学的価値も評価されているようですね。

父と弟が問答をしていたのは「鶏鳴狗盗」のくだりでしたけど、孟嘗君が召しかかえていた物真似がうまい食客のおかげで窮地を脱することができ、「つまらない特技でも、何かの役に立つ」という故事「鶏鳴狗盗」が生まれたとか。

これは物真似という何の役に立つか分からない人間を側に置いていた孟嘗君の先見の明の話なのか、適材適所のような人材を活かす機転についての話なのか、うーん、どっちの要素もありそうですね。

 

『光る君へ』第一話(約束の月)の感想

 

 

『光る君へ』第一話(約束の月)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

『どうする家康』とはテイストが違いすぎるので視聴するのをためらったのですが、自分のまったく知らない分野なので好奇心から少し見てみようと思いました。正直、1000年も前の平安時代の貴族階級のアレコレなんて、それほど興味はないので継続して見ることができるか分からないのですが、行けるところまでいってみようと思います。

 

 

さて、早速ですが良かった点は1つあります。それは個性的な藤原三兄弟、後半の衝撃的な展開など、視聴者を惹きつける要素が多く、第一話の出だしとして及第点だったことです。前半は説明的な部分が多く静かな立ち上がりかと思いましたが、右大臣・藤原兼家とその子息、三郎(藤原道長)と主人公まひろ(紫式部)の出会い、兼家の次男である道兼との因縁など、後半から急展開で思ったよりも楽しめました。

特にまひろが三郎に「馬鹿」について講釈をする場面は少し笑えました。こういうコメディ要素はこれからも盛り込んでほしいですね。

 

 

一方で良くなかった点も1つあります。これは自分の教養がないことが原因なのですが、用語が難しくてよく理解できない部分がありました。ナレーションだけでなく、字幕で注釈も入れてほしいと思いました。トウグウ、ジュダイ、タツノヒ、ウマノコクなど。あとは登場人物の名前が似たような名前が多くて辛いものがありました。名字は藤原だらけ、名前も道隆、道兼、道長など、当時の貴族階級はどういう根拠で名前をつけていたのでしょうか。

 

 

最後に学びがあった点ですが、まひろが父親から聞かされていた漢籍「蒙求」(もうぎゅう)について少し考えてみたいと思います。「蒙求」は、歴史教訓歌の体裁をとった児童向けの書らしいので、当時の上流階級の子供たちは手ほどきを受け、学習をしていたようですね。当時の上流階級の子供たちは漢籍「蒙求」をはじめ、中国の古典に親しんでいたようで、自分の教養の無さ、薄っぺらさを痛感します。

夏目漱石の筆名の基となった話も掲載されているそうで、「孫楚漱石」の話が「漱石」の筆名に採用されたとのこと。そういえば、夏目漱石漢籍漢詩に興味を持ち、そこから東洋的な価値観や道徳を学んだそうですけど、自分にはそういう経験がないので少し羨ましい感じもしますね。今から学ぶのでも遅くはないのかな。

 

『どうする家康』を全48回視聴して毎回感想を書いて感じた3つのこと

 

新しい大河ドラマ『光る君へ』が始まりました。その感想を書く前に去年の大河ドラマ『どうする家康』について少し振り返ってみたいと思います。

 

 

具体的には3つのキーワードで振り返りたいと思います。

1つ目のキーワードは、マンネリ化です。大河ドラマを視聴してその感想を毎回書くという単純な作業を繰り返した訳ですが、感想と言っても私の視野はそこまで広くないので、映像表現、俳優、脚本、史実と物語との対比など、限られた視点でのワンパターンな感想になりがちでした。もっと他の人の感想を読むなど、マンネリ化を打破するために工夫が必要だと感じました。

ただ、それでも書き続けることができたのはフォーマットを導入していたからだと思います。毎回、良かった点、良くなかった点、学びがあった点という3つを書くことにしていたので、そこまで考えずに手を動かすことができました。

 

 

2つ目のキーワードは、歴史への興味です。毎回ではありませんが、物語と史実を比較する癖がついたので、物語を視聴した後にネットで検索をして、出来事や人物を自分なりに調べることをしていました。なので、この時代の人物や出来事について少し詳しくなったと思います。

特に印象的だったエピソードを挙げるとすれば以下の3つです。

 

『どうする家康』第33話(裏切り者)の感想 - ドラマ備忘録

『どうする家康』第36話(於愛日記)の感想 - ドラマ備忘録

『どうする家康』第9回(守るべきもの)の感想 - ドラマ備忘録

 

第33話は石川数正、第36話は於愛の方、第9話は本多正信の話ですが、本編よりも家康を取り巻く人々のサイドストーリーに心打たれるものがありました。

 

 

3つ目のキーワードは、大河ドラマの限界についてです。1つ目のキーワード「マンネリ化」とも関係するのですが、全48回というのは長すぎです。一年間かけて放送するというのも、正直、中だるみがあると思いますし、タイパ、コスパが叫ばれる昨今、半年で終わるようにするとか、それが無理なら3部制や4部制にして物語としてメリハリをつけてほしいと感じました。プロ野球の優勝旅行がなぜハワイなのか、と同じくらいのレベルで昭和的価値観に支配されているような気がします。

 

マンネリ化、歴史への興味、大河ドラマの限界という3つのキーワードで振り返りましたけど、継続することで見えてくるものもありましたし、今までそれほど興味のなかった日本史に興味を持つようになったり、良いこともあった気がします。今のところ、『光る君へ』も継続して視聴する予定です。

 

『どうする家康』第48話(神の君へ)の感想

 

 

 

『どうする家康』第48話(神の君へ)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。それは物語の展開にメリハリがあり、最後まで視聴者を飽きさせなかった点です。前半は乱世最終章、後半は三河家臣団含めた主要キャラ再登場の回想シーンということで、特に後半は第1話から見てきた視聴者にとっては感慨深いものがあったと思います。

『どうする家康』には新しいリーダー像の提示というテーマがあったと思いますが、後半の回想シーンではそういう原点を示唆する演出だったのではないでしょうか。

頼りない君主が対話を重視しながら家臣たちの力を借りて天下泰平の世を目指す。仲間や家臣たちの力なしでは戦なき世を実現することは出来なかった。そういう雰囲気を感じ取ることができる回想シーンだったと思います。

 

一方で良くなかった点は、今回はなし、としたいと思います。前半の大阪夏の陣も中身が濃く見応えがありましたし、豊臣秀頼、茶々たちの最後は壮絶でしたね。『どうする家康』では戦のシーンにCGを多用し、出来るだけ省エネで撮影している印象でしたが、最終話では戦のシーンも素晴らしい出来だったと思います。このくらいのクオリティを1年間通して実現してくれれば文句はなかったのですが。

 

最後に学びがあった点ですが、家康の辞世の句について少し考えてみたいと思います。「嬉やと再び醒めて一眠り 浮世の夢は暁の空」という句からは、晩年を満足して過ごした様子が伺えます。

前半の「嬉やと再び醒めて一眠り」は何度も死線をくぐり抜けて来た家康だからこそ、朝、目覚めるだけで嬉しいという謙虚な気持ちが表れているのではないでしょうか。さらに「一眠り」という言葉にものんびりした家康の性格が反映されている気がします。のんびりを別の角度から言い換えると、忍耐、我慢、辛抱ということでしょうか。

「浮世の夢」とは現世で見る夢、「暁の空」とは空が少し明るくなり始めた時間帯のことですから、夢や希望を持つことの重要性を肯定している感じを受けます。自らが天下統一を果たし、将軍職を息子に譲り、これからの世の中が戦のない天下泰平の世になることを願っているようにも受け取れますね。

 

 

 

『どうする家康』第47話(乱世の亡霊)の感想

 

 

 

『どうする家康』第47話(乱世の亡霊)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は2つあります。1つ目は、家康と茶々の関係性に焦点を当てて物語を盛り上げていた点です。『どうする家康』も残すところ2回しかありませんが、終盤に来て物語のクオリティがアップしている気がします。大阪の陣の描写はもっと淡々と進むと思っていましたが、茶々の家康に対する憧れと憎しみが物語に深みを与えていましたし、家康が茶々に送った手紙の内容も心に響くものがありました。

良かった点の2つ目は、秀頼の狂気を上手く演出していた点です。秀頼は「本当の心」という表現をしていましたが、豊臣秀頼として英才教育を受け、天下人を担うことだけを期待されてきた点を考えると、心の底では戦を望んでいなかったとしても、それを口に出すことは出来なかったのでしょう。そこが秀頼の悲劇だったと思います。豊臣家を慕う浪人、豊臣家の家臣たちからのプレッシャーもあったと思いますし、何より妻である千姫の気丈な振る舞いを見て、決心を固めたのだと思います。

 

一方で良くなかった点は1つあります。それは徳川家康があまりにも美化されている点です。主人公なので仕方がないとは思いますが、本心では戦を望まない、弱さを持った武将というテイストで描かれており、豊臣家の滅亡を望んでいないように描かれていました。が、史実では大阪冬の陣が終わった後も両者は共存を認めておらず、お互いが戦の準備を着々と進めるなど、どちらかが滅亡するまで戦うのは既定路線だったと思われます。もう少し家康の狡猾さ、人間としての醜さが描かれても良かったのではないでしょうか。

 

最後に学びがあった点ですが、豊臣秀頼が発言していた「本当の心」について少し考えてみたいと思います。結局は母親である茶々の呪縛から逃れられなかった秀頼ですが、物語としてはよく出来た展開だと思いました。「欲望とは他者の模倣」という言葉があります。秀頼は「本当の心」と言っていましたが、実際は周りの環境や他者からの影響が大きく、一種の洗脳に近い状態だったのかもしれません。「豊臣秀頼」であることから自由になれなかったのでしょう。「豊臣秀頼」という唯一のアイデンティティを捨てることは、死ぬことを意味したのかもしれません。そういう意味で本当に悲劇のプリンスですし、教育というものの重要性、恐ろしさを感じました。

 

 

『どうする家康』第46話(大阪の陣)の感想

 

 

 

『どうする家康』第46話(大阪の陣)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は2つあります。1つ目は最古参の家臣が家康を支えていた点です。具体的には本多正信渡辺守綱が登場していましたけど、年を取りすぎて少し切ないものがありましたね。三河からの家康家臣団は大半が他界しており、最後に残ったのが正信と守綱だと思いますが、それぞれの得意分野を活かして家康を支えている姿に目頭が熱くなるものがありました。

良かった点の2つ目は、大阪の陣に千姫の視点が盛り込まれていたことです。家康の孫でもある千姫が、豊臣と徳川の間で板挟みになり苦悩していました。秀頼との関係性など豊臣内部の微妙な関係性を千姫の視点で見ることができ、物語に説得力が生まれたと思います。そして、決起集会のシーンで、淀殿、秀頼、千姫の微妙な関係性が描かれているのは面白かったですね。淀殿千姫に兵士を鼓舞するよう催促する場面では、秀頼が千姫を気遣っている描写もありましたし、この3人の関係性は少し歪なものがあったのかもしれませんね。

 

一方で良くなかった点は1つあります。それは豊臣側の作戦が不明瞭であった点です。戦が避けられない状況だったのは理解できますが、全国の諸大名を掌握している徳川に対して勝算は極めて薄い状況だったと思います。

そうであれば、初めから引き分け狙いで有利な条件で講話に持ち込むのが作戦の王道であったと考えられますが、物語では作戦面を話し合う描写がなく、無策のような印象を受けました。

 

最後に学びがあった点ですが、淀殿と秀頼の関係性について少し考えてみたいと思います。秀頼の後見人として権力を握っていた淀殿ですが、男性優位の武士の世界で周りがどこまで彼女の指示に従っていたのか、少し疑問に思うところもあります。物語では、秀頼は淀殿に完全服従している様子で、淀殿が徳川との全面戦争を決めたらそれに従う雰囲気でした。

ただ、秀頼が戦いを望まなければ、大阪の陣を止められた気もするのですが、秀頼が淀殿の意向に反するのは難しいことだったのでしょうか。それとも淀殿の意向だけでなく、周りの武将たち、世論の動向など、総合的に勘案して秀頼は徳川との全面戦争を決断したのでしょうか。

この辺りは想像するしかありませんが、物語では秀頼が聡明な人物という描写でしたので、上に立つものとして大阪の陣を止める方法を考えてほしかったですね。

 

『どうする家康』第45話(二人のプリンス)の感想

 

 

 

『どうする家康』第45話(二人のプリンス)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は3つあります。

1つ目は、豊臣秀頼徳川家康の政治的な駆け引きの場面です。史実では二条城会見と呼ばれる出来事ですが、家康は豊臣家を公家として扱い、上座に座らせようとします。しかし、秀頼も機転を利かせて家康を上座に座らせ、豊臣家は武家として徳川に従う姿勢を示しました。秀頼役の作間龍斗さんの演技を初めて見ましたけど、アイドルとは思えない堂々とした演技でした。主役の松潤さんを喰ってしまうのではないかと思わせる雰囲気もありましたし、最終盤で出てくる俳優にしては少しもったいない気もしました。

良かった点の2つ目は、今川氏真と家康との対談です。まさかここで氏真が再登場するとは思わなかったので嬉しいサプライズでした。家康が本音を吐露するシーンがありましたが、ここで苦悩することで死ぬまで戦の道を歩く覚悟ができたのでしょう。そして、戦なき世は息子の秀忠に任せ、自分は最後の大仕事をする決心をしたのだと思います。

良かった点の3つ目は、家康が秀忠を諭すシーンです。秀忠は豊臣秀頼に対する劣等感をもっており、家康の死後を心配していました。そこで家康は秀忠の長所を諭し、自分が実現できなかった王道による治世を秀忠に託します。家康の晩年をかなり丁寧に描いているので好感が持てました。関ヶ原以後の家康をあまり知らなかったので、史実とは少し違うとは思いますが、勉強になる部分が多いです。

 

一方で良くなかった点は、なしとしたいと思います。今回は二条城会見から方広寺鐘銘事件までを丁寧に描いていましたし、家康が最後の大仕事に向かうまでの心理描写も素晴らしいものがありました。大阪の陣まで一気に進むと思っていましたが、こういうじっくりとした展開もアリではないかと思いました。

 

最後に学びがあった点ですが、二条城会見について少し考えてみたいと思います。この会見の狙いは、豊臣が徳川に臣従し、天下が徳川のものであることを世間に知らしめることであったと思います。もっとも『どうする家康』では、本多正信が豊臣を公家に祭り上げ、武家としての力を削ぐことを提案していましたけど、これは史実ではどうなんでしょうか。

徳川としては、江戸幕府の体制を盤石のものにするため、二条城会見以外にも諸大名に対して「慶長十六年の三カ条誓詞」を誓わせるなど、豊臣以外の諸大名への締め付けも慎重に進めており、大阪の陣になる頃には豊臣は孤立している状態でした。

この辺りの用意周到さは、さすが家康と言ったところでしょうか。