『どうする家康』第47話(乱世の亡霊)の感想

 

 

 

『どうする家康』第47話(乱世の亡霊)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は2つあります。1つ目は、家康と茶々の関係性に焦点を当てて物語を盛り上げていた点です。『どうする家康』も残すところ2回しかありませんが、終盤に来て物語のクオリティがアップしている気がします。大阪の陣の描写はもっと淡々と進むと思っていましたが、茶々の家康に対する憧れと憎しみが物語に深みを与えていましたし、家康が茶々に送った手紙の内容も心に響くものがありました。

良かった点の2つ目は、秀頼の狂気を上手く演出していた点です。秀頼は「本当の心」という表現をしていましたが、豊臣秀頼として英才教育を受け、天下人を担うことだけを期待されてきた点を考えると、心の底では戦を望んでいなかったとしても、それを口に出すことは出来なかったのでしょう。そこが秀頼の悲劇だったと思います。豊臣家を慕う浪人、豊臣家の家臣たちからのプレッシャーもあったと思いますし、何より妻である千姫の気丈な振る舞いを見て、決心を固めたのだと思います。

 

一方で良くなかった点は1つあります。それは徳川家康があまりにも美化されている点です。主人公なので仕方がないとは思いますが、本心では戦を望まない、弱さを持った武将というテイストで描かれており、豊臣家の滅亡を望んでいないように描かれていました。が、史実では大阪冬の陣が終わった後も両者は共存を認めておらず、お互いが戦の準備を着々と進めるなど、どちらかが滅亡するまで戦うのは既定路線だったと思われます。もう少し家康の狡猾さ、人間としての醜さが描かれても良かったのではないでしょうか。

 

最後に学びがあった点ですが、豊臣秀頼が発言していた「本当の心」について少し考えてみたいと思います。結局は母親である茶々の呪縛から逃れられなかった秀頼ですが、物語としてはよく出来た展開だと思いました。「欲望とは他者の模倣」という言葉があります。秀頼は「本当の心」と言っていましたが、実際は周りの環境や他者からの影響が大きく、一種の洗脳に近い状態だったのかもしれません。「豊臣秀頼」であることから自由になれなかったのでしょう。「豊臣秀頼」という唯一のアイデンティティを捨てることは、死ぬことを意味したのかもしれません。そういう意味で本当に悲劇のプリンスですし、教育というものの重要性、恐ろしさを感じました。