『光る君へ』第十九話(放たれた矢)の感想

 

 

『光る君へ』第十九話(放たれた矢)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は2つあります。1つ目はコメディ要素があり楽しめた点です。まひろの父・藤原為時の出世に関する顛末や後宮での嫌がらせの様子など、所々にくすっと笑える要素があり、物語のアクセントとして良かったのではないでしょうか。

今回の物語の中心は、諸官職を任命する朝廷の儀式である「除目(じもく)」であったと思いますが、人事や出世というのはいつの世でも同じような悩みがあり、人間の本質は約1000年前と比べて何も変わっていないことが伺えますね。

良かった点の2つ目は、まひろの夢がはっきりとしてきたことです。今回の物語のハイライトは、まひろが一条天皇と対話するシーンだったと思いますけど、宋の科挙のような制度を日本にも作り、身分の低い者でも重要な役職に就ける世の中にしたい、と自身の希望を述べていました。

一条天皇にも名前を覚えてもらい、男であれば登用してみたいと言わしめるとは、まひろも大したものです。これで宮中や内裏とも明確な接点ができたので、これから主人公らしい活躍が期待できるのではないでしょうか。

 

一方で良くなかった点は1つあります。それは題名に関することです。物語の内容と『放たれた矢』という題名が合っていないと感じました。もちろん、暗喩としての表現手法と捉えれば分からなくもないのですが、それでも違和感が少しありますね。

 

最後に学びがあった点ですが、前回から物語に登場している新楽府(しんがふ)について少し考えてみたいと思います。新楽府は唐の詩人・白居易が作った漢詩で、社会や政治を風刺した内容になっています。楽府とは漢詩の形式を指します。

今回、まひろが引用した漢詩は、新楽府の「澗底松(かんていのまつ)」の一節で、「高者未必賢 下者未必愚」でした。意味は、高い地位の者が賢いとは限らないし、低い地位の者が愚かであるとも限らない、ということですが、身分の低いまひろが日本国のトップである一条天皇にこの一節を言うところが痛快でしたね。

一条天皇は聡明なので笑って済ませましたが、隣にいた中宮がまひろの発言を注意したのも頷けます。前回の『どうする家康』とは違い、教養が試される大河ドラマなので、中国の古典について少しずつ学んでいきたいですね。