『光る君へ』第七話(おかしきことこそ)の感想

 

 

 

 

『光る君へ』第七話(おかしきことこそ)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきたいと思います。

 

まず良かった点は1つあります。それは毎回思うのですが複数の要素が絡み合っており視聴者を飽きさせない工夫が散りばめられているという点です。

まひろと道長の視点では、恋は進展せず、進展どころか物語の最後ではまひろが男性陣の本音を偶然聞いてしまい、道長からの恋文を燃やすシーンが描かれていました。道長とまひろは、こういうすれ違いを繰り返していくのでしょうか。だとすれば物語的にハッピーエンドはない気もしますね。まひろの創作の糧となるのであれば良いとは思いますが。

藤原兼家の視点では、珍しく弱気な姿が描かれていました。代わりに長兄の道隆の存在感が増している印象です。兼家は為時の間者の任務を解いていましたけど、何も理不尽な要求はせず少し不気味な感じでした。まひろの家族がどうなるか少し心配です。

そして謎の男・直秀の視点では、道長から打毬(だきゅう)のメンバーに誘われるなど、物語にしっかり組み込まれている様子が描かれていました。直秀は散楽を通して市井の人々を楽しませる一方、盗賊として貴族の館へ押し入り金品を強奪して貧しい市民へ配っており、道長ら貴族階級と対立する役割が明確になってきました。『光る君へ』は貴族階級だけでなく、市井の人々の視点も取り入れて平安時代を描こうとしていますが、その部分は好感が持てます。

 

一方で良くなかった点も1つあります。それは打毬(だきゅう)のシーンが雑に描かれていた点です。せっかく平安時代の人気スポーツ(?)を魅力的に紹介する良い機会であったにもかかわらず、ルールの説明もなく、視聴者の理解が追いつかないまま間延びした人物描写が続くだけで非常に残念でした。試合なら試合らしく、点差がどうだとか、今のプレーはここが素晴らしいとか、もっと本格的な映像を作って欲しかったです。

 

最後に学びがあった点ですが、題名の「おかしきことこそ」について少し考えてみたいと思います。ここで言う「おかし」は古文の「をかし」とは違う意味なのかもしれません。「をかし」は趣がある、風情がある、というのが第一義ですが、「おかし」は単純に滑稽である、おかしいというそのままの意味に捉えることができます。

まひろが創作した散楽のテーマが貴族階級への皮肉を込めたもので、貴族階級の世界に対する「おかし」と考えるのが自然でしょうか。