『どうする家康』第39話(太閤、くたばる)の感想

 

 

『どうする家康』第39話(太閤、くたばる)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は2つあります。1つ目は、これまで不在だった酒井忠次のその後を描いていた点です。まさか家督を息子に譲って隠居していたとは知りませんでした。小田原城攻めに参加していなかったので、どうしたのかと心配していましたが、静かに晩年を送っていたようで安心しました。そして、最後に秀吉ではなく家康こそが太平の世の中をつくる資質があることを諭す演出も良かったと思います。

良かった点の2つ目は秀吉役ムロツヨシさんの鬼気迫る演技です。秀吉の晩年は褒められたものではなかったと思いますが、ムロツヨシさんは秀吉の一筋縄ではいかない人間性と狂気を上手く演じきったのではないでしょうか。特に人払いをして家康と一対一で会話をする場面では、お互いの本音がぶつかり合う場面もあり、心を揺さぶられました。

 

一方で良くなかった点は1つあります。それは第二次朝鮮出兵の描き方が雑だった点です。『どうする家康』全般に言えることですけど、戦の描き方が上手くないと感じます。人間ドラマに重点を置くのは良いのですが、戦のシーンは時代劇の見どころの一つなのでもう少し工夫してほしかったです。

第一次朝鮮出兵の和睦の経緯も日本側の小西行長と明側の沈惟敬(ちんいけい)が結託して両方の国を欺いた結果、日本側と明側のトップが激怒したという顛末なのに、端折りに端折っているので時代背景を知らない初見の人はいまいち理解できなかったのではないでしょうか。

 

最後に学びがあった点ですが、今回の物語では酒井忠次の晩年、秀吉の晩年という二人の最後が組み込まれていたので、「老い」について少し考えてみたいと思います。

晩年をどう過ごすか、というのは誰にとっても共通のテーマだと思います。酒井忠次家督を息子に譲り隠居をし、静かに余生を過ごします。一方で秀吉は生涯現役で後継者や自分の死後に上手く回る仕組みを作らないまま死んでしまいます。

どちらが良いということはないと思いますが、引き際という点は常に意識をしておく必要があるのではないでしょうか。秀吉も成人した息子がいれば、権力を委譲して隠居をしたのかもしれませんが、そうすることもできずダラダラと天下人の地位にいたのが悲劇だったのかもしれません。

先日、衆議院議長が議長職の辞任会見をしていましたが、正面から質問に答えず、のらりくらり、やってもやらなくてもいいような会見をして去っていきました。こういう態度は政治家というより人間として尊敬できませんよね。やり逃げというか、秀吉型の晩年だと思いました。しかも、体調不良で議長職は辞任するのに議員活動は今後も継続し、次回選挙にも立候補予定だとか。改めて引き際というのは大事だと感じますし、聡明で有能な人ほど引き際の見極めも上手いのではないでしょうか。