『どうする家康』第40話(天下人家康)の感想

 

 

 

『どうする家康』第40話(天下人家康)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。それは石田三成に焦点を当てて、人物像を丁寧に描いていた点です。題名は「天下人家康」でしたが、三成と家康の決裂がテーマだったような気がします。三成の人物評も面白かったですね。「世の中は斜めなのに、あの方は真っ直ぐすぎる」という表現から正義感が強く、自分の信念を曲げない実直な人間であることが伺えます。

ただ、政治の世界ではグレーな部分を扱う必要があり、清濁併せ呑む場面も出てくるので、そういうことが苦手で徐々に孤立無援になっていったのでしょうか。

前田利家による家康の人物評も言い得て妙でしたね。「三成は家康が怖い」と言っていましたが、今川義元のもとで育ち、織田信長武田信玄に鍛えられ、秀吉とも互角に渡り合った実績を考えると、当時の武将の間では伝説的な人物になっていたのかもしれません。

名だたる武将たちが家康を慕ってくるのも腑に落ちます。天下人家康の誕生は必然ということだったのかもしれませんね。

 

一方で良くなかった点も1つあります。今回は三成の短所ばかりが強調された物語だったのですが、長所も織り交ぜてほしかったですね。孤立無援な印象を与える演出も少しまずいと思いました。例えば、名士・島左近が部下にいたことや「大一大万大吉」(だいいち・だいまん・だいきち)という三成の信念の部分をもう少し掘り下げてほしかったと思いました。

 

最後に学びがあった点ですが、今回の主人公である石田三成について少し考えてみたいと思います。三成は、秀吉のもとで重臣に取り立てられ、太閤検地などの主要な政策に関与したと言われています。武力よりも知力に優れている印象ですが、組織のリーダーとしてトップに立つよりもナンバー2としてトップを支える役割の方が合っていたのかもしれませんね。

秀吉の死により豊臣家をまとめる立場になり、自分の力量では組織を制御できなくなったところに徳川家康という組織のリーダーとして適任の人物がいたということでしょうか。三成は、家康の参謀として活躍する未来もあった様な気もしますけど、三成の性格上、それは難しいことだったのかもしれません。

ただ、太閤検地などの政策は、土地の権利関係の整理、適切な納税制度の確立、国内の単位の統一など、後世の経済、文化を発展させる礎を築いたという点で、素晴らしいものがあったことは忘れてはならないと思います。