『どうする家康』第34話(豊臣の花嫁)の感想

 

 


『どうする家康』第34話(豊臣の花嫁)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点ですが1つあります。「豊臣の花嫁」という題名から想像すると緩急で言うところの「緩」の回かと思いましたが、意外とシリアスな展開でしたね。上洛か戦かを決断するまでの葛藤を上手く描いていたと思います。

石川数正が家康を裏切って出奔した真意も分かりましたし、数正が仏像と共に残したメッセージ(築山の押し花)が家康の心を解きほぐすシーンは心にグッと来るものがありました。家康が部下に「天下人を諦めてもよいか」と問う場面も涙を誘うシーンでしたね。徳川家臣団は今まで家康を天下人にするために命をかけて働いてきた訳ですから、家康本人からこのような問いが発せられるとは思いもよらないことですし、答えようがない問いだと感じました。

 

一方で良くなかった点ですが、今回はありません。家康、於愛の方、徳川家臣団、出奔した石川数正、それぞれの想いが重なり合う上質なドラマだったのではないでしょうか。

 

最後に学びがあった点ですが、家康の決断について少し考えてみたいと思います。秀吉の下に上洛し臣下となるか、秀吉との全面戦争を行うか。この決断を行うにあたり、物語では家康が過去に囚われている、と表現していましたね。正室である瀬名と息子である徳川信康の死はそれほどまでに影響が大きかったのでしょう。

ここで家康の側室・於愛の方が、戦のない世を作ることを秀吉に任せられませんか、という新しい視点を提示します。目的と手段の関係だと思うのですが、家康が実現したいことを第三者に任せる選択肢もあるのではないか。家康が天下人にならなくても戦のない世が実現できるのなら、それでも良いのではないか。

家康は一旦、天下人になることを諦める選択をする訳ですが、これは史実ではどうなんでしょうか。戦国時代に生きているので完全に諦めるというのはない気がしますが、上洛して秀吉の臣下になるということは、どのような気持ちだったのか。想像するだけで胸が苦しくなりますね。