『どうする家康』第15回(姉川でどうする!)の感想

『どうする家康』第15回(姉川でどうする!)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点の3つについて書いていきます。

 

まず良かった点は、2つあります。一つ目は、家康が信長に対して反抗的な態度を取る場面です。前回からの流れで信長についていくか迷いが生じている家康ですが、とても人間的で共感できるものがありました。浅井・朝倉勢につくか、信長につくか。信長が天下統一を完全に成し遂げた場合、どのような世の中になるのか。信長の性格を考慮すると太平の世ではなく、北朝鮮みたいな独裁国家になり、恐怖政治で人心を掌握する恐ろしい世の中になっていたかもしれません。思慮深い浅井長政は、だからこそ兄弟の契りを交わした信長を討つ決意をしたのでしょう。

二つ目は、家康と家臣団とのやり取りの場面です。酒井忠次石川数正が家康の甘い考えを諭す場面では、「信長に義はない」と家康が言い放ちます。それに対して「義とは何か」と問答するのですが、天下を我がものにしようとする信長は私利私欲の塊で、そこに正義はないと言いたいのでしょう。ただ、正義や大義というのは絶対的なものではなく、相対的なものであり、立場や考え方が違えば全く異なってくるものです。酒井忠次は「義なんてものは綺麗事」と家康に言いますが、それもまた真実でしょう。古参の家臣団の説得により家康は考えを改めます。最古参の家臣団の安定感が光ったシーンでした。

 

一方で良くなかった点も2つあります。一つ目は、姉川の戦いが終わった後に信長と家康が少し会話をしますが、その時に信長が家康の耳に噛み付く場面です。信長の狂気的な側面をアピールしたかったのでしょうけど、この演出はやり過ぎだと思いました。これでは、ただの頭のおかしい人になってしまいます。初期の頃は信長が纏う雰囲気に威厳が感じられて好きだったのですが、最近では狂気アピールが度を超えてきて見ていて不快になることが多いです。

二つ目は、金ヶ崎の戦いで過酷なしんがりを務める家康と木下藤吉郎の苦労が見られると思っていたのに、「その後、何やかんやありましたが、無事、金ヶ崎の戦いを乗り切ったのでした」というナレーションで戦いが片づけられた部分です。これは、姉川の戦いもそうですけど、時代劇を舐めてますね。戦のシーンを真面目に描く気がない。このブログでは再三指摘していますが、戦のシーンに関しては、全体的に雑すぎて視聴者としてガッカリの連続です。関ヶ原の戦いくらいは真面目にやるんでしょうか。

 

最後に学びのあった点ですが、家康と家臣団とのやり取りを挙げたいと思います。家康は、殿様で指導的立場にいる存在です。こういう人物がブレると部下は非常に困ります。浅井・朝倉勢につきたい理由が、「浅井氏が好きだから」というお子様のような理由なのも上に立つものとして幼稚で思慮が浅い。やはり本当にこの人物が天下を統一して江戸幕府を創立したのか、少し無理があるような気がしてきました。どうする、どうすると連呼するのはいいのですが、出オチ感が否めません。頼りない、情けない主人公という設定は斬新でいいのですが、せめてきらりと光る部分が少しでもないと、ただの凡人が運よく天下取っちゃいました、という終わり方になりかねません。そうならないように今後の展開に期待したいです。