『どうする家康』第7回(わしの家)の感想

『どうする家康』第7回(わしの家)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

良かった点は2つあります。1つ目は、緊迫した展開から一転、閑話休題的な話になり、コメディ的な要素も含めて楽しめた点です。緊張の連続だと見ている方も疲れますからね。特に家康の母・於大の方と瀬名のやり取りが、典型的な嫁姑関係を見ているようで和みました。

2つ目は、家康が改名した場面です。松平元康の「元」の字は、今川義元の「元」から授けられたものであるため、改名を決意します。日本史に疎いので全く経緯を知らなかったのですが、当時の人の考え方や風習を少し理解することができた気がします。家康の「家」については、武家の元祖・八幡太郎義家公の「家」や三河を一つの「家」と見立てるなど、いろいろな解釈があるみたいですが、他にどういう候補があったのか、「家」にどういう想いを込めたのか、想像を巡らすのは面白いですね。

 

悪かった点も2つあります。1つ目は、家康が一向宗の拠点である本證寺に潜入する場面です。殿様が商人や農民に変装して町に繰り出すことは、時代劇において使い古された手法です。脚本が書きやすいのは理解できるのですが、時代考証を踏まえた実際のところはどうなのでしょうか。地位の高い人間が本当にそのようなことをしていたのか。私は現実的ではないと考えます。戦国時代において地位の高い人間は暗殺というリスクを常に考えねばなりませんし。。。

2つ目は、家康が本證寺の住職・空誓と対話をする場面です。家康の描き方に不満があります。「なぜ一向宗は年貢を納めないのか」と家康は問う場面があります。この物語の最初から感じていることですが、家康には信念に基づいた熱い言葉や鋭い洞察を踏まえた知性的な言葉が少ないように感じます。凡庸で単純な質問ばかりで、本当に天下を統一して江戸幕府を開いた人物なのかと疑問に思ってしまいます。まだ物語の前半なので、こういうシーンが続くのかもしれませんが、どのあたりで成長していくのか不安になってしまいます。もしかしてずっとこのような調子なのでしょうか。

 

最後に学びがあった点ですが、今回は一向宗について考えてみたいと思います。現代でも旧統一教会など、新興宗教が問題になっています。やはり乱世になると人は救いを求めて、飛びついてしまうのでしょうか。何かを信じることは非常に人間的で尊いことだと思うのですが、同時に自分が信じるものを冷静に、かつ客観的な目線で見ることを忘れないようにしたいですね。