『どうする家康』第44話(徳川幕府誕生)の感想



 

『どうする家康』第44話(徳川幕府誕生)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。今回は、家康から秀忠への権力の委譲、忠勝と小平太の老いという大きく分けて2つのストーリーラインがありましたね。どちらも内容が濃くて見応えがあったと思いました。特に忠勝と小平太の晩年の描写は、胸が熱くなるものがありました。忠勝は目が見えなくなり、小平太は病を患っているという設定でしたけど、お互いがお互いを気にかけている演出は心を打たれるものがありました。

第43話で家康と三成は最後まで分かりあえず、人間は心の底から理解しあうことは難しいという描写がありました。しかし、今回は無二の友を思いやる心境を描くことで、心の底から理解しあっている友人関係を上手く表現していると思いました。

 

一方で良くなかった点も1つあります。それは題名が「徳川幕府誕生」にもかかわらず、家康が将軍職に就き、江戸幕府を確立した描写が少ない点です。1603年に江戸幕府を創立し、1605年に将軍職を秀忠に引き継ぐところまで一気に進んでいましたけど、江戸幕府が誕生するシーンをもう少し詳しく描写して欲しかったですね。というか、そこが物語の一つの見せ場だったと思うのですが、編集がまずかったということでしょうか。

 

最後に学びがあった点ですが、江戸幕府誕生後の豊臣家と徳川家の関係を少し考えてみたいと思います。物語の最後に家康が「機は熟した」という発言をしていました。豊臣秀頼が成人したということは何を意味しているのでしょうか。

家康は自分の孫である千姫を秀頼に嫁がせるなど、融和的な態度で豊臣家と付き合おうとしていることが伺えました。ただ、淀殿が家康に対して強硬的な姿勢を示しており、秀頼は実質的に淀殿支配下にあることを考えると、家康としては豊臣家との最後の戦を想定せざるを得ない状況だったと思われます。

物語の中で「関ヶ原はまだ終わっておらぬ」という発言もしていました。豊臣家の内部分裂から始まった関ヶ原の戦いは、豊臣と徳川の対決という構図で決着がついておらず、家康が真に望む結果にはなっていなかったということでしょう。家康としては、豊臣家が徳川の臣下となるか、または豊臣家を滅ぼすことが必要と考えていたのでしょう。