『光る君へ』第十一話(まどう心)の感想

 

 

『光る君へ』第十一話(まどう心)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。それは物語における道長とまひろの立ち位置がはっきりしてきたことです。道長は前回から考え方や性格がどんどん変化している印象ですが、今回は権力者としての顔が出てきた気がしました。物語の終盤でまひろに正妻ではなく妾になってくれとお願いしたものの、聞き入れられないと激昂するという、何とも傲慢な感じでしたね。

まひろは貴族社会における底辺の身分であり、父親の就職について奔走するのですが願いは聞き入れられず、藤原兼家には「虫けらが迷い込んだ」と言われる始末。物語的にはまひろが主人公なので、紫式部として名を挙げるまで貴族社会を駆け上がっていくという展開になるのでしょうか。

 

一方で良くなかった点も1つあります。それは道長とまひろが再会した場面でのBGMです。少しディストーションが効いた泣きのギターでしたけど、平安時代という時代設定を考えると音楽的に現代的な要素はない方が良かったのではないかと思いました。加えて映像表現にこだわっているのはすごく良く分かるのですが、くどいと感じることもあるので、もう少し普通の表現でもいい気がしています。

 

最後に学びがあった点ですが、まひろの父、藤原為時について少し考えてみたいと思います。為時は学問はできるが組織での立ち回りが下手な人間として描かれていますね。ただ、組織に属する以上、政治的な駆け引きは重要ですし、どのような派閥に属するか、誰についていくのかということも少しは考えておく必要があると思います。

その点、為時は性格が実直で表裏がなく、素直すぎるのかもしれません。普通の人間であれば、藤原兼家が摂政になった時のことを考えて兼家との関係は切らずにおくのでしょうが、そういう小細工はしたくない性格なのでしょう。

本音を言えば学問のことだけを考えて生きていきたいのでしょうけど、人は生きていく上での雑事からは逃れることができませんよね。バランスの問題だと思うのですが、人間の時間は有限ですから、何にどれだけの時間を使うのかは各個人の考え方や信念によって決めるのが良いということでしょうか。そういう意味で為時も今の状況に後悔はないのかもしれません。