『どうする家康』第26話(ぶらり富士遊覧)の感想

 

 

『どうする家康』第26話(ぶらり富士遊覧)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は1つあります。それは、家康が一皮剥けた様子を丁寧に描いていた点です。緩急で言うと今回の物語は「緩」に属しますが、妙な緊張感というか、家康の悲痛な想いと覚悟が伝わってくる話でした。ハイライトは「えびすくい」を自らが信長の前で踊り、道化を演じる場面だったと思います。物語の最後に「信長を殺す。天下を取る。」と本心を打ち明けますが、これは史実ではどうだったんでしょうか。新しい解釈として賛否両論ある気がします。

 

一方で良くなかった点も1つあります。信長への恨みと天下を統一することは別の次元の話だと思いました。信長への恨みは良いとして、そこからさらに飛躍してなぜ天下を統一するのか、そこの部分に対する説明が不足している気がしました。25話までの家康を考えると、自分が天下人を目指すなどと、そういう発想はなく、信長についていくか、信長と決別して地方の一国の主として自分の領土をいかに守るか、という2択だったはずです。天下統一という発想は、少し違和感がありました。次回以降の展開で動機が説明されるのかもしれませんね。

 

最後に学びがあった点ですが、家康の変化について少し考えてみたいと思います。物語で信長も指摘していましたが、「化けおったな。本心を見せなくなった。」という主旨の発言をしていました。それまでの家康は、喜怒哀楽をストレートに出すタイプで弱音や本心を周囲の人間にみせることが多かったと思います。

しかし、今回の話では内に秘めた覚悟を周囲には明かさず、感情を制御し、何事も淡々とこなしているように見えました。組織のリーダーや経営者としては、後者の方が適した人間だと思いますが、人としての親しみやすさは前者という気がします。

ここのバランスが難しいところで、冷静で理性的な部分と人間臭さのような感情的な部分を状況に応じて使い分けることが肝要ということでしょうか。