『どうする家康』第19話(お手付きしてどうする!)の感想

 

『どうする家康』第19話(お手付きしてどうする!)を視聴したので、感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点ですが、2つあります。一つ目は、イントロ部分の信玄と勝頼の対話の場面です。「3年は死を公表するな」「わしの真似をするな。そなたの世を作れ。そなたの器量はこのわしをはるかにしのぐ。わしのすべてを注ぎ込んだ至高の逸材じゃ」という名言を残して信玄は他界しました。対話の場面は、背景のセットが非現実的で少しやりすぎ感がありましたが、俳優の演技力でカバーできたと感じています。特に信玄は魅力的な武将でしたし、ここで信玄役の阿部寛さんが登場しなくなるのは非常に残念です。

二つ目は、今回の物語は緩急で言うところの「緩」であり、特に緊迫したシーンもなく気軽にエンタメとして楽しめた点です。激戦続きで緊迫した展開が続いていましたので、今回のような回も必要ということでしょう。時代劇のお色気シーンと言えば、『水戸黄門』のかげろうお銀の入浴シーンが有名ですが、『どうする家康』でも側室系のネタは定番化するんでしょうか。前にも同じようなタイトルの回がありましたけど、NHK、攻めてますね。

 

一方で良くなかった点は、1つあります。物語上、そこまで重要ではない人物を取り上げ、尺をたっぷり使って描くことに違和感を覚えました。側室系のネタがダメだと言っているのではありませんが、例えば、信玄死去後の混乱している甲斐国の内情を描くとか、もう少し工夫して物語に厚みを出す方法があったのではないでしょうか。

 

最後に学びがあった点ですが、信玄の死を取り上げたいと思います。信玄が「3年は死を公表するな」と言った真意は、息子の勝頼が頼りなく、国をまとめるのに時間がかかるだろうと予測したから、とも言われています。事実、甲斐国は信玄派と勝頼派に割れて弱体化したのですから、信玄の悪い予感は的中したのでしょう。信玄のカリスマ性による統治でまとまっていた国が、その死後、混乱に陥ってしまう。仕方のないことかもしれませんが、カリスマ性にもメリット、デメリットがあるということでしょうか。信玄は生きている時に、息子が統治できる仕組みを作っておくべきでしたね。