『光る君へ』第四十二話(川辺の誓い)の感想

 

 

 

『光る君へ』第四十二話(川辺の誓い)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は、メインキャラクターが身の振り方について逡巡する様子を丁寧に描いていた点でしょうか。一条天皇中宮彰子の華やかな時代から三条天皇の時代になり、ストーリーラインは複数ありましたが、道長と藤式部(まひろ)との対話がメインだったと思います。

道長は、「源氏物語はもう役に立たない。三条天皇中宮妍子を結びつける良い策はないか。」という趣旨の発言を藤式部(まひろ)にしていましたけど、けっこうヒドいですよね。藤式部(まひろ)は、源氏物語を書く気力を失ってしまい、実家に戻ってこれからの身の振り方を考えているようでした。

そこから源氏物語の最後の部分、宇治十帖を書き始めるまでが今回の物語のハイライトだと思うのですが、道長と藤式部(まひろ)の川辺での会話は、晩年を迎えて行き詰まっている状況で、お互いの絆を再確認しようとする少し切ないシーンに感じました。

 

一方で良くなかった点は、物語が終盤に差し掛かっているにもかかわらず、相変わらず内裏で権力争いをやっている点でしょうか。三条天皇左大臣の主導権争いもそうですけど、この物語を通じて世代は変わってもやっていることはあまり変わっていないというか、厳しい言い方をすると進歩がない気がします。救いがないというか、それが脚本家の言いたいことなのかもしれませんけど、視聴者としては何らかの救いが欲しい気がします。世の中が少しでも良い方向に向かっているとか。

 

最後に学びがあった点ですが、平安時代の出家について少し考えてみたいと思います。前回の物語では、道長の息子である藤原顕信が突然出家をしていました。今回も藤式部(まひろ)が出家をほのめかすシーンがあったり、改めて平安時代の出家がどういうものか興味が出てきました。

平安時代における出家は、俗世の煩わしさや人間関係から離れ、仏教に帰依して魂の救済や悟りを求める行為として重要な意味を持っていたそうです。

内裏での権力争いを見ていると貴族階級の人々が出家したくなる気持ちも分かります。「身分のリセット」や「逃避」の側面もあると思うので、現代社会でもこのような制度があってもよい気がしました。特に日本社会では自殺による死亡率が先進国の中で高い状態ですから、出家のような逃げ道があれば、そこまで追い詰められないで、しがらみから解放されより善く生きることができるかもしれません。ただ、問題は一度出家すると俗世に戻って来られないということですね。