『光る君へ』第三十五話(中宮の涙)の感想

 

 

 

『光る君へ』第三十五話(中宮の涙)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は、今回の物語のハイライトでもある中宮彰子役・見上愛さんの演技でしょうか。まひろの助言が功を奏し、中宮彰子が涙ながらに一条天皇へ心の内を吐露する場面は見ごたえがありました。中宮彰子は当初、うつけという設定でしたが徐々に人に心を開くようになり、今回、初めて自分の想いを他者へ伝えた訳ですが、初登場からここまで引っ張った分、重みのある発言になったと思います。

中宮の涙」というタイトルから何か不幸な出来事が起こると心配していましたが、前向きに物事が進み始めたようで一安心です。

そして、道長は御嶽詣から帰ってすぐに藤式部(まひろ)の物語を読んでいましたけど、「不義の子を産んだのか」発言には少し引いてしまいました。道長はまひろの娘・賢子が自分の子であることに気付き驚いたのか、それとも自分の純愛を「不義」と言われて少し傷ついたのか、どちらなのでしょうか。

 

一方で良くなかった点は、前半の御嶽詣の盛り上がりがいまいちだった点でしょうか。金峯山への道中、道長が夕食をほとんど食べず体調が悪そうでした。何かの伏線かと思っていましたが、特に何も起きなかったですし、伊周の道長暗殺計画も隆家が阻止し何事も起こらず、少し拍子抜けした展開でした。前回の興福寺の僧侶事件も視聴者に不安を煽っておきながら、あっさり終わってしまったので、もうちょっと緩急をつけて視聴者を楽しませて欲しかったです。

 

最後に学びがあった点ですが、今回は物語の中盤であかね(和泉式部)が詠んだ歌について少し考えてみたいと思います。

 

物をのみ 乱れてぞ思ふ 誰かには 今はなげかん むばたまの筋

 

あかねの想い人である敦道親王が亡くなった時に詠んだ歌です。あかね(和泉式部)は、恋愛をテーマにした歌を詠んだことで知られていますが、亡くなった人を悼む挽歌も詠んでおり、上述の歌もその一つに位置づけられます。

意味としては「ただ物思いに耽って心が乱れてばかりいる。今さら誰のために嘆くべきだろう。もう嘆く相手もいないのに。」ということだと思います。

最後の「むばたまの筋」は、「むばたま」が「黒い」や「暗い」を表す枕詞で、「筋」にかかっています。「筋」とは、ここでは「運命」や「人生の道筋」と捉えるのが妥当でしょうか。「むばたまの筋」は、これからの「暗い運命」に対して諦めの気持ちや虚無感を表していると考えることができます。

まとめると、この歌は悩みや嘆きに満ちた心情を表しつつ、それでも嘆く相手がもういない、という孤独や諦めの気持ちを詠んでいると言えるのではないでしょうか。