『光る君へ』第四十話(君を置きて)の感想

 

 

 

『光る君へ』第四十話(君を置きて)を視聴したので感想を書きたいと思います。今回も良かった点、良くなかった点、学びがあった点について書いていきます。

 

まず良かった点は、人間ドラマとして物語に緩急があり、主要キャラの対話シーンに見応えがあったことでしょうか。個人的には一条天皇道長の右腕である行成との対話シーンに惹き込まれました。

行成としては一条天皇の想いを成就させたいが、道長との関係もあるので両者の板挟みになる姿が何とも言えない場面でした。中間管理職の悲哀というか、見ていて少し気の毒でしたね。定期的に行成の見せ場があるのは、行成ファンとして嬉しいのですが。

そして、もう一つの見どころは、中宮彰子と道長との胸熱な対話シーンでしょうか。初登場から数話は「うつけ」と言われていた彰子が、次の東宮の決定についてこれほどまでに道長に噛みつくとは思いませんでした。

彰子の成長も感じられましたし、一条天皇の心の内を慮った彰子の愛を感じました。道長は、まるで父・兼家が乗り移ったかのように冷静に対処し、「政を行うは私であり、中宮様ではございませぬ」と言い放っていました。この姿は、左大臣としての凄みを感じましたし、冷徹かつ冷酷な雰囲気でしたね。

 

一方で良くなかった点は、苦情という程のことでもないのですが新キャラの登場を挙げたいと思います。双寿丸という市井の若者を登場させ、藤式部(まひろ)の娘・賢子と交流させていましたが、残りの回数で消化できるのでしょうか。市井の人と言えば、物語初期の謎の男・直秀を思い出してしまうのですけど、あのような悲劇が再び起こらなければよいのですが。

 

最後に学びがあった点は、兼家化が進む道長について少し考えてみたいと思います。慣例では次の東宮は亡き皇后定子の御子である敦康親王であるところ、道長中宮彰子の御子である敦平親王を次の東宮にしようと企んでいました。

道長の論理では、強い権力基盤がなければ世の中の安定を作ることができない。だから、自らの一族が強い権力基盤を確保して世の安定を作る、という発言をしていた記憶があります。私利私欲のためではなく世の中のためという大義名分を強調されると何も言えないですし、純粋にそのことを考えているのだとしたら、その姿勢は素晴らしいのかもしれません。

ただ、自らの行為が周りからどのように見えるのかという視点が欠落しているようにも感じます。周囲からは一族の繁栄が目的なのだろうと言われても仕方がないと思います。

その点、父・兼家は単純で、私利私欲を追求し、一族の繁栄のためなら何でもするという分かりやすいキャラクターだったような気がしました。